2010年04月05日

Skeeter Davis -- The End Of The World


Skeeter Davis -- The End Of The World

今夜は、この曲を比べてみましょう。

Skeeter Davis(スキータ・デイビス)さんの1963年ヒット曲 The End Of The World に、天地真理さんのカバー曲を続けて聴いてみようと思います。

この曲は、カーペンターズや最近ではスーザンボイルさんなど、多くの歌手が歌っています。

私は、もともとカーペンターズの曲だと思っていましたので、本家のSkeeter Davisさんの曲を聴いて、ずいぶん曲想が違うことに驚きました。

彼女の淡々とした歌い方に、今の歌手にはない、カンツリーソングのスピリッを垣間見たような気分を味わいました。

それは、乾いたクラッカーを食べたときのような感触・・・

けっして美味しい食べ物ではないけれど、しばらく口で咀嚼(そしゃく)していると、ほんのり甘みを感じる・・・そんな微妙な味わいの曲に仕上がっていると思いました。

歌詞の意味を和訳などで読むと、恋人を失った悲しみを歌った内容で、けっして明るい歌ではありません。

でも、メロディを聴いていると 胸騒ぎ?・・・なにか胸キュンとする想いがしてくる不思議な曲なのです。

The End Of The World 「世界の終わり」を感じるくらい悲しいのですから、恋人を失う=愛する人と永久(とわ)の別れを意味するのでしょうか?

それとも、愛が通じずに恋人と別れた「失恋の歌」なのでしょうか?

「失恋」と「永久の別れ」とは、大きな違いです。

ラブソングなら「失恋の歌」でしょうし、世界の終わりなら、「絶望の歌」にも聴こえるのです・・・聴く人の心がどう感じるかで この歌詞の意味も違ってくるのかも知れません。

この曲をカバーした多くの歌手は、切ない気持ちを全面に出して、比較的テンポゆっくりに歌っています。

でも、本家のスキータ・デイビスさんと天地真理さんは、割りと速いテンポで歌っています。

そして、いちばん明るい声で歌っているのが、われら真理ちゃんなのです。スキータ・デイビスさんの、どちらかと言えば無表情な歌い方に比べて、天地真理さんは明るく、明るくこの歌を歌っているのです。

この歌を明るく歌うこと、悲しい歌をこのように歌うことは、実は意外と難しい表現だと思います。

悲しみは、個人の中へ内へ内へと入る陰(かげ)の感情ですが、明るさは外(そと)を照らす陽(よう)の感情です。

明るく歌うことは、普遍的なひかりの感覚、本能的に人間が救われると感じる方向から聴こえてくる声だと思います。

天地真理さんの歌う The End Of The World

絶望の歌を 軽々と歌い上げる・・・これは間違いなく 世界に誇れる ”救世主の歌”なのです。


The End Of The World(この世の果てまで) -- Mari Amachi

ラベル:Skeeter Davis
posted by メロンパン at 01:12| Comment(5) | TrackBack(0) | 天地真理が歌うカバー曲集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
真理さんのこの歌を聴いていると、みんなが持っているこの曲のイメージ、先入観といえるものを見事に変えたというか、ご自分の最もすばらしいもので、この歌を表現していらっしゃいますよね。さりげなく優しい風に「抱かれているような」感じに・・・。
Posted by 愛 at 2010年04月05日 06:28
〈絶望の歌を 軽々と歌い上げる〉
〈さりげなく優しい風に「抱かれているような」感じ〉
メロンパンさんと愛さん、いずれもすばらしい表現ですね。

ちょうど今、この曲を含めライブ盤『天地真理オンステージ』についてまとめようとしているところで、ちょっと難航していたのですが、おかげでインスピレーションが湧いてきました。
ありがとうございました。

真理さんのうたは光の中にも影があり、影(絶望、悲しみ)の中にも光がありますね。スリーピーさんが取りあげられている『風花のさよなら』にも、春の風さんがUPされた『哀しきマリオネット』にもそれは言えると思います。

Posted by ひこうき雲 at 2010年04月05日 23:04
ひこうき雲さまとインスピレーション・・まさに「鬼に金棒」ではないですか !! 本編のご更新楽しみにしてます。
ところで・・
さまざまな事情で、静養を余儀なくされる時がありますね。
そのような時は、ことさら集中力やインシピレーションが高まり、自分の内側から次々に詩的な言葉が浮かんできたりするわけです・・・ 窓から見える桜の花、空を泳いでいるような雲たち、朝日の昇る瞬間、鳥たちのさえずり、近所の子供たちの笑い声、ボールを蹴る音、赤ちゃんの泣き声、夕暮れ時の寂しさ・・・などなど、これまで気がつかなかったものがこんなにあったんだと、実感するもの。それは・・懐かしい「あの頃の自分」との再会のときー。(ここにつながりましたよー!)

失って はじめて気がつく 何げない日々の奇跡。 失うまえに、大切に思えることができたら、どんなにすてきでしょう・・。
Posted by at 2010年04月06日 01:46
ほんとうは・・ 誰もが、詩人なんですよね
それを忘れてしまうから。
みごとに咲き誇る「さくら」の画像を拝見し、詩情豊かな日々の感動と心のときめきが伝わってきたので、書かせて頂きました。ご覧になってはいらっしゃらないと思うから・・こっそり。
Posted by 愛 at 2010年04月06日 02:21
もう少しだけ、勇気を振りしぼって。
「ほかの方からも・・」、こうこられたら 「すみません」って笑う以外にないですよね^^; 会話は1対1のはず。「これは良くてこれはダメ」とふるいにかけたら尊い場所になるのかなあ・・ 日ごとに回復してやっと自由に動ける、嬉しいなぁっという気持ち !それを察して付き合う「ゆとり」は要らないとしたら、何でも説明が必要だとしたら、心あたたまる交流の場とはいえなくなってしまう・・・かも。  書きたくないんですっ
だけど書かなかったら、歪んじゃうから^^。
Posted by at 2010年04月06日 06:40
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